【ネタバレあり】2回目の鑑賞が10倍楽しくなるスパイダーマンファーフロムホーム感想

興行的にも作品としての評価としても大成功を収めた「アベンジャーズ/エンドゲーム」の直後に公開され、しかも「アイアンマンの後を継ぐ」といった展開が予告され、トニーロス・アイアンマンロスの真っ只中にいる僕らの期待を高めに高めまくっている『スパイダーマン:ファーフロムホーム」。 正直いって僕は、このハードルの上げ方で万が一コケでもしたら、エンドゲームの感動すら損なわれてしまうんではないか…と心配するほどだった。世界最速公開から約40時間後、土曜日のレイトショーで観たが、僕の心配は無事杞憂に終わったのだった。

掛け値無しに面白かった。ある部分ではエンドゲームより面白かった。エンドゲームが面白すぎたのは事実だが、3時間の間感情揺さぶられっぱなし、先の見えない展開と興奮、大きすぎる喪失感を味わわせてくれたエンドゲーム。それと比べてファーフロムホームはロードムービーかつ青春映画のようでもあり、少年が成長する奮闘記でもあり、現代的なギミックが飛び交うエンターテイメントでもあった。つまり、とっても面白かった。

特に僕が感じ入ったのはこの3点で、この記事ではこの3つを中心に好き勝手に書いて行きたいと思う。

これからはネタバレががっつり入るのでぜひ注意して進んでほしい。

謎の男ミステリオのミスリード

原作ではスパイダーマンヴィランであるミステリオ。ファーフロムホーム予告では、別の次元の地球からやってきたヒーローとして、共闘するかのような雰囲気だったミステリオ。あれ、これはひょっとして原作とは違って本当に味方なパターンかな?と思ったら、果たしてしっかりヴィランだったミステリオ。しかしこのミステリオ、いい仕事してた。本当によかったと思うミステリオ。

いままで単品MUC作品のヴィランの中では(つまり、サノスを除いて、という意味)(いや、別にウルトロンが魅力的でないという意味ではなく)、ブラックパンサーヴィランであるキルモンガーが一等魅力的なヴィランと、個人的には思ってたんだけど、これはひょっとして一二を争うヴィランになったかもしれない。

正体を明かすミステリオのシーンで物語が切り替わった

さて、最初は味方として登場したミステリオは、ヒーロー不在の地球に襲来した新たな脅威を退ける強いスーパーヒーローとして、スパイダーマンとニックフューリー、イタリアの街の人々に認知される(ミステリオはイタリア語で「謎の男」。イカス)。 アベンジャーズ不在以後の世界で求められた新たなスーパーヒーローとして信頼を集めるミステリオ。しかしそれは偽りの姿だった!ということが作品の中盤で明かされる。

ミステリオが正体を明かすシーン。自信をすっかり失ったパーカーが、トニーの形見でありパーカーに託されたハイテクARメガネ。パーカーから「トニーの形見を持つにふさわしい」として渡されたARメガネを手に、ニカっと笑って、「簡単なもんだったろぉ!?」というミステリオ。このシーン!このシーン。ミステリオの表情。現実に戻って行くバーのフェイク映像。大変よかった。 前半のコメディタッチなロードムービーから、明確に超えるべき敵を倒すための物語として転換する舞台装置として、このシーンは非常に印象的だった。僕も映画の脚本を書くときがきたら、敵役に思いっきりニカっと笑わせよう。そう思った。

超現代的なもので戦うミステリオ

正体を明かしたミステリオ、というか正体とともにミステリオの攻撃手段も明らかになる。それはめちゃくちゃ先進的な映像技術とドローンという、現代的なアイテムだった。原作のミステリオも、特殊効果と映像技術を駆使するらしいが、序盤の敵として出てきたエレメンタルが全て彼(と彼の部下達)の「演出」だったのは驚いた。フェイク映像を使って精神攻撃を仕掛けてきたり、精巧な映像に紛れ込ませたドローンで攻撃したりと、現代の世相にマッチした攻撃を仕掛けてくるあたり、とても面白いなと思った。

例えばこの映像。フェイスブックのCEOであるマークザッカーバーグが話しているように見せかけるフェイク映像。

こういった動画やフェイクニュースのように、ミステリオが仕掛けてくる攻撃はとにかくフェイク。フェイクフェイクまたフェイク。フェイクで物理的に攻撃されるし、騙してくるし、しんどい光景を見せてきたりする。ミステリオを通じて、現代のフェイクの攻撃性が見えたのは面白かったなと。

物語の終盤、敗れたミステリオがスパイダーマンに向けた最後の言葉、「人は信じることを求めてる」というのも、世相を反映していて大変良い。非常に現代的なテーゼを示してきたいいヴィランだったなと思う。

余談だけど、フラッシュのライブ配信で敵の居場所がわかるというのも現代的なギミックでとても面白かった。

マーベル・シネマティック・ユニバースの続編としてのスパイダーマン

ミステリオが今回ヴィランとして立ちふさがるのは、トニーのせいだ。まあアイアンマン関係の作品のヴィランは、だいたいトニーまたはトニーの父のハワードのせいだ。ミステリオもアイアンマン3アルドリッチ・キリアンよろしく、過去のトニーにコケにされたことから、ヴィランとして世界の前に現れることになる。

アイアンマンもキャプテンアメリカももういない。世間はアイアンマンの後継を期待している。次にサノスのような厄災が襲来したらどうなるのかと不安でしょうがない。ホームレス支援のパーティにゲスト参加した時、スパイダーマンはアイアンマンの後継を意識させられ、旅行先にスパイダーマンのスーツを持っていかないことを決心するほどにプレッシャーでいっぱいになった。

キリアンの時はトニー自身がケリをつけた。キリアンの時と違うのは、もうトニーはいないということだ。トニーが生んだ敵を、パーカーが倒さなければならない。ミステリオとトニーの因縁を、パーカーは最後まで知らなかったはずだが、トニーの残した敵との戦いの構図は、観客である僕たちに嫌が応にもスパイダーマンの成長物語を想起させる。パーカーはミステリオを倒すことで、トニーが残した負の遺産を乗り越えなければならない。

トニーの死による喪失感と、トニーが残した負の遺産を克服することで、パーカーは大きく成長する。それは同時に、僕たち観客がトニーがいない喪失を乗り越えることでもある。そのカタルシスが、ファーフロムホームという映画に興奮を与えたように思う。

ハッピーとパーカーの奇妙な友情

また、この項で外せないのがハッピーの存在だろう。 エンドゲームでの、トニーの葬式シーンでのモーガンとの会話、「お父さんもチーズバーガーが好きだった」。このセリフからはハッピーとトニーの友情が垣間見えたが、ファーフロムホームではハッピー自身の口からトニーへの思いが語られる。 「トニーは親友だった」「トニーはいつも悩んでた」でも、パーカーに託すことは迷わなかった。この言葉を聞いたパーカーは迷いを断ち切る。フューリーが言っていた、「覚悟」が決まったようだ。

思えば、パーカーとハッピーの関係には不思議な部分がある。前作の『スパイダーマン:ホームカミング』の最初のうちは、パーカーにとってハッピーは、トニーに認めてもらうためのただの連絡相手だった。ファーフロムホームでは、パーカーはハッピーとおばとの関係性に不審を感じながらも、しんどいタイミングで頼ったのはハッピーだった。ミステリオに一度は敗れ、見知らぬ土地オランダで目覚めたパーカーが電話をしたのはハッピーだった。ハッピーとパーカーの間には、奇妙な友情があるようだ。

スパイダーマンの部下?」と聞かれたハッピーは「同僚だ!」と答える。これが示唆するのは、彼らの対等な関係だろう。一方で、ミステリオとの最終決戦に挑むためにスーツを自作するパーカーを見つめるハッピーは、在りし日のトニーとパーカーを重ねているようだった。彼らの関係は、親子のようでもあり、友人のようでもある。今作で、パーカーの背中を押したのはメイおばさんでもベンおじさんでもMJでもトニースタークでもキャプテン・アメリカでもニックフューリーでもない。同僚のハッピーだった。

ミステリオとトニーの違い

パーカーとトニーの関係について、もう少し触れておきたい。 トニーがいなくなった喪失を、ミステリオは少しだけ埋めてくれた。ヒーローのあり方に迷うパーカーに、ミステリオは父として師匠として(まやかしではあったが)ヒーローの先達としての顔を見せた。友達との旅行をヒーローより優先したいパーカーに、「やめてしまってもいいと言いたい自分もいる」と共感を見せるミステリオには、見てるこっちも「ミステリオの兄貴…」と思ったくらいだった。

しかしトニーは、パーカーを甘やかしはしなかった。前作ホームカミングのトニーの名言、「スーツなしじゃダメならスーツを着る資格はない」に象徴されるように、ヒーローとして厳しく接し、期待した。パーカーには荷が重すぎる期待だったかもしれないが、トニーはパーカーに「信じて全てを託した」のだ。結果的に、パーカーの弱音に共感を見せたミステリオと、トニーのどちらがパーカーを成長させたか。この2人の違いには考えさせられるものがあった。

映画スパイダーマンの系譜として

さて次に、過去のスパイダーマンの映画作品との類似点や相違点について書いて行きたい。もちろん、つながりのない別シリーズだから違いはいくらでもあるし、過去作をみていなくてもファーフロムホームは楽しめる(エンドゲームは観ておくべきかもしれない)。一番違いが大きかったのは、ヒロインであるMJだろう。

サム・ライミスパイダーマン三部作でのMJは、学校のマドンナで舞台女優を志す色気たっぷりのブロンド美女である。一方、こっちのMJは、ちょっと中二病が入っていて斜に構えたものの見方をしたり、素直に言葉を伝えられずトゲのある物言いをしてしまう不器用な女の子である。ピーターは「ダークな」部分に魅力を感じているようだ。サム・ライミ版のMJと違う点はキャラだけじゃない。過去作のMJは、スパイダーマンの正体を知らないまま何度も助けられて、最初はスパイダーマンに心奪われていくが、隣人としてのパーカーの存在を徐々に実感していき、最終的にはピーター=スパイダーマンを好きになる。一方、今作のMJは「ずっと見てたから気づいた」のだ。スパイダーマンじゃないただのパーカーを気になっていて何度も見ているうちに、ピーターの不審な挙動とスパイダーマンを結びつける(しかし最初は素直に言えないMJだった。かわいい)。つまり、順序が逆なのだった。 しかし共通点もある。サム・ライミ版MJとパーカーは、いろんなきっかけにキスをしていた。今作のMJは、言葉は不器用だからと、好意をキスで表す。なんだかこの辺が、過去作のMJとの共通点なような相違点なようなで、大変ほっこりしました。

他のキャラクターでいうと、サム・ライミ版三部作ではガキ大将的いじめっ子でMJの元彼ポジション、アメイジングスパーダーマンではピーターと喧嘩してから理解者になるフラッシュも、ライブ配信で承認欲求丸出しの健全な男の子って感じで、メイおばさんは若く綺麗な女性だ。そんなメイおばさんのことを、ハッピーは好きで、いま以上の関係に進むことを期待しているらしい。メイおばさんとハッピーが恋仲になるかどうか。MCUスパイダーマンでは、ベンおじさんは登場していないが、これはひょっとしたら次回作あたりで、ハッピーから、ベンおじさんの名言「大いなる力には大いなる責任が伴う」が飛び出す伏線だったりするのかもしれない。

そして何より「デイリービューグル」「J・ジョナ・ジェイムソン編集長」だろう。どちらも、スパイダーマンシリーズではおなじみの存在であり、いままで出てこなかったこれらが登場しただけでテンションが上がったが、J.Kシモンズがスクリーンに映ったときは映画館なのに思わず「おおお!」って言ってしまった。J.Kシモンズはサム・ライミ版三部作でJ・ジョナ・ジェイムソン編集長を演じていたまさにそのひとであり、流石にお年は召していたがその朗々とした威圧的な話し方は健在で、懐かしい気持ちになった(これが聞けただけで字幕で見る価値があった)。ぜひ、今回だけのファンサービスにとどまらず次回作でも登場して欲しい。というか最後の展開的に出るでしょ絶対。

スパイダーマン的に馴染みのある単語が出ると、一気にスパイダーマン感が出てくる。僕が個人的に一番好きなピーター・パーカーは、ヴェノムに乗っ取られかけて攻撃性に身を委ねてしまってるパーカー(あん時のトビーマグワイア、ホント名演だよね。ギャップがすごかった)なのだけど、もうヴェノムは出ないかな…どうかな。

エンドゲームでは宇宙にまで行ってしまったし、サノスに比べるとスケールが小さくなってしまうかもしれないけど、ニューヨークを舞台にグリーンゴブリンやドクターオクトパスと戦ってくれる親愛なる隣人としてのスパイダーマンがみれると嬉しいなあ。

というわけで、早くも次回作への期待が高まってしまう『スパイダーマン:ファーフロムホーム』 の感想でした。僕は二回目を見に行く。ひとりでも行くが、ひとりではないと信じている。